北山案内(散歩道編)その1

 北山を日常的にお散歩する方々もいます。勿論、青葉町や、葉山町、北山町等、ご近所の方々が多いのですが、離れた所から車や公共交通機関を使って来られる方々も少数ながらいらっしゃいます。
 そういった方々は、一時的な観光客とは違ったコースを歩かれています。今回はそんな”通な散歩道”をご紹介してみようと思います。


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「散歩道編」その1:「北山縦走路(前)」

 冒頭の写真は北山1丁目のほぼ中心、資福寺の駐車場入り口付近(下の地図のの少し南、資福寺の東脇の道)から北方向を写したものです。写真で分かるように、北方向は小高くなっていて、赤松林が続く尾根状の地形ですが、私が立っている辺りは平坦な台地状の地形になっています。
 この台地は、若干の起伏を伴いながら、北山を東西に貫いています。私が勝手に「北山縦走路」と呼んでいる小道は、この台地を西は古海道・輪王寺第2駐車場から東は鹿島崎まで、途切れずに歩き通せる便利な道です。いわば「北山裏山の幹線道路」と言える存在です。
 この「北山縦走路」は、大半が舗装がされていて墓苑整備や寺社関係の人々の軽四輪自動車がたまに通りますが、一般車両は殆ど通りません。また、部分的に簡易舗装や未舗装の小道になっているのですが、そこでは私のように道端にしゃがみこんで野草を接写していても邪魔にされる心配はほぼありません。


*付近地図
   国土地理院1万分の1地形図
     「仙台駅」、「青葉山」から部分コピー、加筆

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 (緑色で塗り潰した所は各寺社の境内・構造物で、朱色の線の小道を使って以外では域内に入れません。灰色に塗った部分は一般の住宅地ですので、立ち入りは遠慮すべき所になります。)

 ①~⑭の数字をつないだ赤色の太線が「北山縦走路」です。以下、この番号順に説明して行こうと思います。

 ①の地点:
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 「輪王寺第2駐車場」の入り口です。背後、古海道を突切って西へ向かえば「北山霊園」の東門に行き当たります。
 この入り口の左手に開いている小道を上れば「キリスト教墓地」になります。

 舗装路を道なりに10mほど進みますと、次の写真のような光景になります。
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 正面に見える五重塔は輪王寺の日本庭園の物で、右手に入った所が「輪王寺第2駐車場」(青文字のPの所)です。この駐車場は、普段は十分なスペースがありますが、日・祝日や大規模な法事・催物が有る時などは満車になることもあります。駐車可能台数は50台くらいでしょうか。中規模のスーパーの駐車場位の広さです。
 写真右端の小さな小屋は閼伽桶(あかおけ)に水を汲むための水屋なのですが、その裏側がトイレになっています。地図では黄文字の「T」で示してあります。



 ②の地点
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 右手は輪王寺の日本庭園の柵で、左手は輪王寺の墓地です。左手に延びている簡易舗装の小道は、前にご紹介しました「白虎隊士 飯沼貞吉の墓」へ続く坂道です。曲がり角に小さな案内板が立てられています。この坂道を上った頂上付近右手に「白虎隊士 飯沼貞吉の墓」があります。

 後ろを振り返ると、こんな感じです。
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 「北山縦走路」は、輪王寺日本庭園の柵沿いに東へと続きます。
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 ③の地点
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 輪王寺の敷地はここで終わり、この二本の檜の大木の間を抜けると、

資福寺の墓地になります。
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 右手には資福寺本堂の甍(いらか)が見え、
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左手の尾根上には「萬霊塔」が見えます。
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 ④の地点
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 ほどなく、未舗装路と舗装路が並行して走る丁字路に突き当たります。
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 左手は尾根筋へ上る道で…
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 手前の未舗装路は、頂上手前から左に折れ、尾根筋を通って西へ続く道になります。奥の舗装路は、頂上付近で二つに分かれ、両方とも青葉町に下りる道となります。

 右手は、手前の未舗装路を行けば資福寺になり、奥の舗装路を行けば覚範寺に行き当たります。
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 この写真の右の墓石が尽きた辺りに資福寺の駐車場があります。冒頭の写真は、この写真の中央付近で撮ったものです。

 未舗装路と舗装路の境の縁石を乗り越え、舗装路上から今来た道を振り返って写してみました。
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 舗装路も突っ切って、空き地の中を通るルートもとれるのですが、ここは順当に舗装路を覚範寺方向に進みます。
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 写真中央に写っている車の辺りまで、この坂道を下ります。


 ⑤の地点
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 この道は、此処からまた上りになって覚範寺の西脇に通じています。
 「北山縦走路」は、此処から左に曲がります。
 左に曲がると、この様な風景になります。
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 左手角には水屋があります。
 この辺りは、青葉町の「職業能力センター」から資福寺北辺にかけて切り込んだ谷筋でして、小さな小川も流れています。⑤から⑥にかけての小道は、その小川に沿って付けられた道です。
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 この道は、この先、⑥の地点で未舗装路の坂道に突き当たります。


 ⑥の地点
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 道はこの先にも通じているように見えますが、写真左下の広場の先は行きどまりで、崖になっています。

 この角を左に曲がれば、
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尾根筋への上り坂で、その先は青葉町へ下りる狭い急な階段となっています。

 「北山縦走路」は右へ進路をとります。
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 小さな谷を覆う木々のトンネルを潜ると、覚範寺の墓地が見えてきます。
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 ⑦の地点
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 坂道を登り切った所は、この様な丁字路になっています。

 右に曲がれば、
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覚範寺の駐車場を経て、覚範寺の本堂へと続く墓地の中の小道です。

 「北山縦走路」は、左へ進路をとり、
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青葉神社裏の杉林の中へと入ります。
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 この杉林を抜けると、東昌寺裏の墓地になります。


  <この続きは次回で>

この記事へのコメント

  • れきお

    ご無沙汰してます。いつも楽しく拝見しております。
    大正15年発行の地図を見ますと輪王寺の北にある北山墓地から東に向かって、途中大師沼を廻って覚範寺と青葉神社の間に至る路が描かれてます。
    この路と、ご紹介いただいた散歩道は同じものなのでしょうか。
    お時間のある時で構いません。ご教示いただければと思ってます。
    2018年03月09日 18:53
  • あきあかね

    れきおさん、おはようございます。

     地元の事を大変よくお調べの様で、感服しております。
     さて、れきおさんが「大正15年発行の地図」とおっしゃっていたのは、「川名文明堂版 大正十五年発行 地番入仙台市全図」の事かと思います。私の手許にもこの地図が有りまして(復刻版ですが)、私もれきおさんがおっしゃっていた道は気になっていました。ですが、断定できるほどの資料が手元に無くて、本文には記載しませんでした。ですので、これは私の推測になるのですが…

     「地図で見る仙台の変遷」所蔵の明治38年版と、昭和3年版の2万5千分の1地形図、および本文で使用しました1万分の1地形図を対照比較しますと、大正15年図にある道は私が「北山縦走路」と呼んでいる道の北にある尾根筋の道のように思われます。一部、尾根筋から覚範寺に下りてくる部分と、青葉神社の裏手を通り、東昌寺裏に抜ける部分は重複してるようにも見えるのですが…
     輪王寺第2駐車場の辺りは昭和30年以降に整備されたようで、「北山縦走路」の前半部分の道はそれ以降のように思われます。

     測量地図や建設・整備記録等の裏付け資料がありませんので、断定はできないのですが、現在は以上のように考えています。もし、れきおさんの方にもご意見がございましたら、再度コメントくだされば幸甚です。
    2018年03月10日 09:10
  • れきお

    ありがとうございます。まずこの散歩道を地図見ながら歩いてみます。
    更にご存じだと思いますが、輪王寺の北側、荒巻小学校付近にその昔池があったようで、江戸時代の地図や明治13年の地図にも描かれてます。江戸時代の地図には、そこから川が描かれていて、荒巻小学校前のバス停、セブンイレブンの付近(だと思うのですが)で合流してます。この合流した川は、現在北仙台から通ずるバス通りになっているようです。
    大正時代の地図には、このバス通りの途中に橋が描かれており、大変興味をそそられます。
    現在調理師学校になっている、その昔溜池だったところも含め、この界隈を色々と調べてみたいと思ってます。
    2018年03月10日 17:17
  • れきお

    すみません、記憶違いしてました。合流していたのではなく、江戸時代の地図を見ますと、この池の更に西方から川が流れており、この川が現在のバス通りを通って調理師学校の付近まで到達していました。
    明治の頃には道になっていたようですが、埋めてしまったのか、それとも暗渠になっているのか興味が尽きません。
    更に調理師学校の隣にあるライオンズマンションの付近に以前津々美温泉があったと思います。昔荒巻温泉がありましたが、もしかするとこの界隈には他にも温泉があったのでは?と考えています。
    2018年03月11日 01:13
  • あきあかね

    れきおさん、おはようございます。

     梅田川の旧支流のことですね。
     梅田川流域は、江戸時代以前から何度か河川改修がなされていて、それによって流域の土地利用も変化しています。四谷用水との関連もあって、探求し甲斐がある地域です。
     私はまだ本格的に調べていないのですが、いずれやってみたいテーマです。

     ちなみに、梅田川の旧支流は通町や北九番丁などにも何本かあり、一部は現在でも暗渠の下を流れているようですよ。
    2018年03月11日 08:35

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